不毛な病院巡り 5ー大学病院(リウマチ・膠原病内科)

2019年5月
●リウマチ・膠原病内科
 
初めて大学病院の皮膚科にかかったのが3月。
そこから4月、5月と3ヶ月連続で通院しました。
 
血液検査で特に問題視されたのが次の3つ。

・赤血球沈降速度
クレアチンキナーゼ(CK)
CRP
 
いずれも炎症具合や筋肉の損傷を測る数値で、
悪化するほど数字は高くなります。
 
ご参考までに、3ヶ月間の結果はこちら↓
ぐんぐん数字が上がっていることがわかります。
※いずれも単位省略

・赤血球沈降速度(基準値は15未満) 
3月・・・33
4月・・・(計測なし)
5月・・・55
・CK(基準値は43−165)
3月・・・183
4月・・・233
5月・・・371
CRP(基準値は0.30以下)
3月・・・0.45
4月・・・0.55
5月・・・0.66
 
3回目となる5月の検査でCK値は371に上昇。
これは過去イチの数値です(2022年5月現在)。
 
この結果を見た皮膚科の医師が「こりゃ内科だ!」と
慌てた感じで看護師に伝えていたことを覚えています。
 
結局、その日のうちにリウマチ・膠原病内科にかかることになりました。
 
リウマチ・膠原病内科の担当医師は血液検査の結果を見ながら、
「CK値が高いのでMRIで筋肉の状態を調べる必要があります。
血液検査の推移などと総合的に判断して今後の治療計画を立てましょう」
などと説明。
 
さらに、
「皮膚筋炎/多発性筋炎」の可能性が高いと言われました。
あれ、全身性エリテマトーデスじゃないんだ?
またまた知らない病名で驚きました。
 
「皮膚筋炎/多発性筋炎」は、自己免疫疾患のひとつです。
 
「免疫=疫病から免れる」
という言葉通り、免疫は細菌やウイルスなどの病原体が
体の中に入ってきたら攻撃して退治してくれるという
ありがたいシステムです。
 
とくにコロナ禍では、睡眠や運動、
バランスの良い食事などを通して免疫力を高めよう!
感染症に負けない健やかな体作りをしよう!
というトピックも多かったと思います。
 
体を守ってくれる大切な免疫ですが、
これがなぜか暴走して自分自身を攻撃してくるのが自己免疫疾患。
 
原因は不明ですが、生まれながらの体質に
・ストレス
・薬物
・外傷
・手術
・妊娠出産
など、免疫活動が活発になるなんらかの事柄が
重なると発病のきっかけになることもあるらしく。
 
私の場合は過度なストレスかな?って感じですが、
医師からは
「まあ、あまり考え過ぎてもね、本当のところは分からないですからね」と
諭されました。
この考えすぎる性格がいけないのか?と再びぐるぐる問答してしまいました。
 
皮膚科に通院していた3ヶ月間はロキソプロフェンなどの鎮痛剤を飲みながら
だましだまし仕事をしていましたが
加速度的に体調が悪化していったので辛さはピークでした。
(実際、CK値もぐんぐん上昇していた頃です)
 
発症から約6ヶ月、
こうして、ようやく本丸のリウマチ・膠原病内科に辿り着いたのです。
 
<あの頃の私へ>  
無理して仕事を頑張っていたよね・・・
その無茶が後から重くのしかかってくるぞ!

 
 
 
 

不毛な病院巡り 4ー大学病院(皮膚科)

 
複数の病院をぐるぐると回る日々の中で、
皮膚の発疹も拡大していました。
 
顔、手指に加えて、
脇の下あたりにもどーんと広範囲に発疹ができていたのです。
ここにもステロイド軟膏を塗っていましたが、
全くおさまる気配がありません。
 
そんなある日、
一番長く通っていた一般皮膚科の医師から
「なかなか改善しませんねぇ。大学病院に行ってみます?紹介状書きますから」
と言われました。
 
え〜? 大学病院!? そんなオオゴトなの?
確かに発疹は広がっていましたが、
こういう症状が大学病院マターだとは思いもしませんでした。
 
さらに医師からは、
「〇〇病院と〇〇病院、どっちがいい?」と聞かれました。
どちらも名の通った大学病院ですが縁もゆかりもないし、
両者の違いや特徴なども分からないので、決めあぐねていました。

すると医師は、
「ま、ここから通いやすいのは〇〇病院だね」
といった感じで、アクセスが便利な方に何となく決定。

結果的にこの病院に長〜くお世話になるわけですが、
当時は「どこでもいい、早く治してくれ!」という思いでいっぱいでした。
 

2019年3月下旬〜
●大学病院の皮膚科へ

いよいよ大学病院へ。私はこれまで頑丈に生きてきたので、
お見舞い以外で大学病院に来るのは初でした。

初診受付で紹介状正式には診療情報提供書)などを提出。
軽く病院の説明を受け、採血してから指定されたフロアの待合室へ。
 
なんか面倒なことになってしまったという無念と、
ようやく治るだろうという期待感が交差して、
自分の番号が呼ばれるのをひたすら待っていました。
 
しかし・・・ぜんぜん呼ばれない!
 
診察までこれほど長く待つとは考えもしなかったし、
長時間、同じ姿勢を保っているのも苦痛でした。
トイレで離席するたびに自分の順番が飛ばされたんじゃないかと疑い、
受付の方に「まだですか?」と確認してしまいました(反省)。
 
すっかり通院に慣れた今では「大学病院とはこういうもの」と理解し、
採血を済ませたらカフェに行ったり、院内ライブラリーで本を読んだり、
自分なりの時間の使い方をマスターしています。
 
さて、その後ようやく名前が呼ばれると、
今度は診察室の前にある小さな椅子で待つように指示されます。
いよいよ本当に「次は私」ということです。
ここで看護師さんから
「学生の診療参加型臨床実習へのご協力のお願い」
というA4サイズの紙を手渡されました。
 
医学生があなたの診療に参加してもいいですか?という確認の書類です。
なるほど、大学病院には未来の良医を育成するという
重要なミッションもあるわけですものね。
 
ただ、発疹は顔や手指だけでなく、脇の下にも広がっていたので、
少し抵抗感はありました。
とはいえ、まぁいいかと流れのまま承諾。
 
いざ診察室に入ると、
皮膚科部長なる医師の他に、女子学生2名がスタンバイしていました。

これまでの経過を説明し、顔と指の発疹の他、
ガバッと洋服をめくり上げて脇の下の発疹も診てもらいました。
 
ひと通り診察が終わると医師は
膠原病」「エスエルイー」などと聞きなれないワードを使って
早口で説明しはじめました。
 
うまく聞き取れず 「はい? もう一度お願いします」と言うと、
医師はメモ帳を取り出し、
 「紅斑→SLE、エリテマトーデス」などと大きな字で書きながら、
 
「血液検査の結果、赤血球沈降速度とクレアチンキナーゼ(CK)が高く、
全身性エリテマトーデス(SLE)の可能性があります」などと説明。
 
全身性エリテマトーデス(SLE)というのは膠原病の一種で、
全身の炎症と関節痛などの障害が起こる病気とのこと。
 
ただ、他の可能性もあり現時点で断定はできない。
少し様子をみる必要があるとのことで、
1ヶ月後にもう一度皮膚科を受診し、
あらためて血液検査やMRI検査をすることになりました。

診察後の気持ちは複雑でした。
膠原病」「エリテマトーデス」「慢性炎症」などの
詳細はよく分かりませんでしたが、
私がイメージしていたよりも、遥かに深刻だと分かり、
「これで治る!」といった淡い期待は完全に消えました。

そして、皮膚の症状と体の痛みが同じ原因かもしれないと、
このとき初めて認識したのです。
 
この日は炎症を抑える薬や軟膏に加え、漢方薬も処方されました。
この漢方薬、同じのがまだ残ってるけど、
断れないのかなぁなどと思いながらトボトボ帰宅しました。
 
<主な処方箋>
  • ロキソプロフェンNa60mg
  • ファモチジンOD錠20mg
  • プロトピック軟膏
  • ユベラNソフトカプセル200mg
  • サルポグレラート
  • 当帰四逆加呉茱萸生姜湯
 
<あの頃の私へ>  
母親にも相談せず、ずっと一人で戦っていたこの頃。
周りにもっと相談して、頼っていればよかったのに・・・。

不毛な病院巡り 3ー整形外科・リハビリ施設

●2019年3月〜
整形外科

(前回からのつづき)
近所の整形外科でレントゲンを撮ったものの、
骨に異常がないので1回で終了となりました。

しかし、痛みは治まるどころか、どんどんレベルアップしていました。

この頃はフルタイムの会社員でしたが、
日中も強い痛みを感じ続けるようになったので、
仕事を中抜けし、会社の近くにある整形外科へ行きました。
 

ここでも大量の薬です。
最初は鎮痛剤としてロキソニンが処方されましたが、
痛みが治まらないため、より強いトラムセット配合錠も処方されました。

トラムセット配合錠は副作用として吐き気やめまいが起こることがあると
言われましたが、体の痛みが強すぎてその他の不調はよく分かりませんでした。

この整形外科にはリハビリテーション科が併設されており、
年配の患者さんを中心に、みなさん静かに温熱療法などを受けていました。

その病院のサイトによると温熱療法の効果は、
「血流の増加、鎮痛効果、振動のマッサージ効果による損傷部位の治癒促進・・・」等とあります。
私も診察と合わせて温熱療法&超音波療法を受けることに。

医師から週に1度はリハビリに通うように言われましたが、
仕事の都合で予約日時を変更してもらうことが続いてしまい、
「前回からこんなに期間が空いたら治るものも治らない」
「もっとしっかりリハビリしなさい」と、キツめに指導されました。

でも、首や肩に温熱を当ててもらってジーッと座っているとき、
「根本的に何かが違う、これじゃ治らないな」と感じました。
瞬間的に気持ちがいいだけで、すぐに痛みはぶり返してたのです。

そのことを医師に伝えましたが、
「リハビリは根気よく続けないと効果が出ない」と言われ、
そんな悠長なこと言ってらんないよ、と思って通院をやめました。
金銭的な負担も大きかったです。

とにかく当時は、いろいろな治療を手当たり次第に試していました。
 
<主な処方薬>

1回目

2回目

3回目

  • ロキソプロフェン錠60mg
  • エペリゾン塩酸塩錠50mg
  • メコチバール錠500μg
  • トアラセット配合錠
 

●2019年3月〜
リハビリ施設

手詰まり感があって途方に暮れていた時、
家の近所で「リハビリ施設」という看板を見て、これだ!と飛び込みました。
 
「どこに行っても治らなかった慢性痛に!」
「患者様の状態にあったオーダーメイドの治療」
という定番のキャッチコピーにまさにキャッチされたのです。
 
それにしても、街中には整骨院接骨院
本当にたくさんあることに初めて気づきました。
自分に必要のない情報は、意外と目に入らないものだなあと実感。
 
つまり、それだけ多くの人が何らかの痛みや不調を抱えているわけで
そう考えると、少し気がラクになる部分もありました。
私だけじゃないんだ、頑張ろうと。
 
このリハビリ施設では、全身のチェックやカウンセリングを経て
カイロプラクティックなどの治療をしていただきました。
 
とにかく肩口が痛むので、肩にかかる腕の重さを軽減するため
骨折した時に使用するような腕つりバンドも購入。
 
今の私から見れば「意味ない、意味ない」と突っ込みたくなりますが、
その時は藁にもすがる思いで、通勤時にも腕つりバンドを使用していました。
 
<あの頃の私へ>  
持ち前の行動力を発揮しすぎて、かえって疲れてない?
難病患者なんだからもっと安静にして、会社を休むことも必要だったね。

不毛な病院巡り 2ー整形外科

最初に発疹ができてから約4ヶ月。

皮膚科に通っても全く効果が出ないことに加えて、
2月頃になると体のあちこちが激しく痛み出しました。

首がイタイ、肩がイタイ・・・。

まあ、中年になれば全身あちこちにガタがくるし、
更年期障害の一種かな、仕事の疲れが出たのかな、などと思っていました。

でも痛みのレベルはぐんぐん上がり、
堪えがたいほどの強烈な痛みに襲われるようになりました。
日常生活にも更に支障をきたすようになってきたのです。

たとえば、


手に力が入らない!

起床時が一番ひどかったのですが、
手指がこわばっていて、力が入らず、グーが作れませんでした。

歯磨きをしたくても歯ブラシがうまく握れないので、
親指と人差し指でブラシをつまむように持ち(=デスノートのL)、
ぎこちなく磨いていました。

こわばりは時間がたつとマシになってくるのですが、
調子が悪い日はパソコンのキーボードがうまく打てず、
両手の人差し指だけで1文字ずつ入力したりしていました。

 

 

 
しゃがむと立ち上がれない!

物を落としてしゃがみこむと、すっと立ち上がれなくなりました。
太ももの筋肉が全く機能しないのです。
 
まるで「生まれたての子鹿」的なプルプルぶりで、
何かにつかまって「えいや!」と勢いをつけないと、
その場でただただ屈んでいるという状態に。
和式トイレは絶対無理な状態でした。
 
 
夜中に激痛で叫んでしまう!

昼間は仕事もあり気も張っているので
なんとか日常生活を送れていましたが、そのツケが就寝中に爆発!
 
腕がもげるんじゃないかと思うほど肩口が痛くなり、
夜中に何度も「痛い!!」と叫んで起き上がっていました。
 
イメージとしては進撃の巨人に腕をグリッともがれている感じで、
両腕がもげるんじゃないかというような、強烈な痛みでした。
同居の家族にも思い切り迷惑をかけてしまっていました。

 

 

足取りがめちゃ重い!

油の切れた自転車を必死に漕ぐような感じで、
下半身に力が入らず、足がスムーズに前へ進まないのです。

駅まで数分の道のりが本当に遠く感じられました。
階段の上り下りも大変で、
一歩一歩、手すりにつかまりながら必死に歩みを進めていました。



 

●2019年2月〜
整形外科

とにかく肩の激痛が尋常ではなかったので、
もしかして骨にヒビでも入ってるのか?と近所の整形外科へ。
診察&レントゲンを撮ってもらうも骨には全く異常なし(当然ですが)。
 
いま思えば、この時点で関節リウマチを疑ってもよかったはずです。
そうすれば、膠原病科などにかかって
検査してもらうことができたかもしれません。
 
でも、なぜかそうはなりませんでした。
先生にどのように症状を伝えたのか正確には覚えていませんが、
とにかく「肩の激痛」に苛まれていたので、
手のこわばりなどには触れていなかったのかもしれません。
 
私は祖母がリウマチだったこともあり、
リウマチはお年寄りの病だというイメージを強くもっていました。
しかし、発症のピークは30〜50歳代らしいので、
私はまさにズバリの年代だったのです・・・。
 
こうした思い込みも相まって、
病名が分かるまで遠回りをしてしまいました。
 

<主な処方薬>

 

<あの頃の私へ>  
医師に自分の症状をしっかりと伝えていたか?
自分で勝手に判断せず、いろいろな可能性を探ってみよう。

 

不毛な病院巡り 1ー皮膚科

====
2019年4月に難病「皮膚筋炎/多発性筋炎」の診断を受けました。
この病名が分かるまでの日々です。
====
 

最初の異変は「手指の赤いふくらみ」でした。

両手の親指の付け根や薬指の側面などに、
ポツポツと小さな発疹ができていたのです。

 
痛み・かゆみは無し。何かにかぶれたかな?
くらいにしか思っていませんでしたが、
次第にまぶたや鼻の周りにも同じような発疹が現れました。
 
まぶたと鼻・・・イヤでも目につく場所なので気にはなりましたが、
ファンデーションの重ね塗りでやり過ごしていました。
そのうち治ってくれるだろうと。
 
しかし、放置している間に発疹の範囲は広がり、
指で触るとしっかりとした厚みも感じられるように。
ファンデーションでは隠しきれないレベルになり、
痛々しい感じになってきたところで、皮膚科に通い始めました。


2018年10月〜
●美容皮膚科

最初に行ったのは美容皮膚科でした。
この頃は顔と手指の発疹がメインだったので、
「顔の赤みを早く治したい」という思いが強く、

「美容皮膚科なら、効果の高い薬を処方してもらえるのでは?」
という安易な気持ちで病院を選び、計3回ほど通院しました。

この皮膚科では、皮膚の赤みや腫れなどの症状を改善するため
ステロイドの軟膏や抗ヒスタミン薬などが処方されました。

しかし、これらの薬ではまったく改善せず(当然ですが)、
3回目の診察時に医師の言動や態度から
〝お手上げ感〟が出ていた気がして、転院することにしました。

 

<主な処方薬>
キンダベート軟膏0.05%
リンデロン-V0.12%
ベポタスチンベシル塩酸OD錠10mgタナベ
ネオメドロールEE軟膏
ザイザル錠5mg

 

 

2019年1月〜
●一般皮膚科

年明けから心機一転、老舗の一般皮膚科に通い始めました。

初診時に医師からは、
「あなたは自分の顔を触り過ぎるから、接触性皮膚炎の疑いもある。
ストレスやビタミン不足にも気をつけるように」と言われました。

「なるほど、そういう可能性もあるのか」と納得。
薬をせっせと飲む&塗るしていました。

1月から通い始めて、4月末までに計7回診察を受けました。
美容皮膚科と同じようなステロイドの軟膏も複数ありましたし、
ビタミンC・B2・B6、漢方薬なども大量に摂りました。
 
でも、もちろん治癒することはありませんでした(当然ですが)。

ステロイドの外用剤を塗っても良くならない場合は、
薬の量が足りておらず、患部にしっかり塗れていないことが多いのだとか。

逆に言うと、
適量を正しく使用しているのに、56経っても良くならない場合は、
ステロイドが適応する発疹ではない可能性が高いということ。

私の場合はまさにこれで、
最初の診察から少なくとも10日ほど外用剤を使用した時点で、
ステロイドが効かない」ことは明らかだったのです。
では、なぜ使い続けてしまったのか?

これは今もよくわかりません。
私としては「とにかく赤い顔を治したい」という一心だったし、
外用剤は種類がいろいろあったので「次は効くかも」と期待し、
せっせと使い続けるしか方法がありませんでした。


<主な処方薬>
外用剤
・リンデロンA軟膏
・パンデル軟膏0.1%
・マイザー軟膏0・05%
・クリンダマイシンゲル1%
飲み薬
・ザイザル錠5mg
クラリス錠200 200mg
セフゾンカプセル100mg
・当帰四逆加呉茱萸生姜湯
ビタミンなど
・ハイシー顆粒25%
・ピドキサール錠10mg
・ハイチオール錠80 80mg
保湿
・プロペト
・ヘパリン類似物質油性クリーム0.3%
 
ちなみに、
発疹は顔のあちこちに広がっていたので出勤時はマスクをしました。

コロナ禍の今となってはおなじみのマスクですが、
当時は、花粉シーズンが過ぎてもマスク姿というのは珍しく、
ちょっと奇異な目で見られていたと思います。

会社でもずっとマスク。
同僚とのランチ時にマスクを外すのがイヤで、
ひとり、公園でお弁当を食べたりしていました。

(つづく)

 

<あの頃の私へ>  
その薬は本当に効くのか?
やみくもに使い続けるのではなく、効果を見極めることが大事!

 

*今日もぐるぐる*

 

 

 
 

「難病」ってなに?

みなさんは「難病」について、どんなイメージがありますか?  
私の場合、医師から「あなたは難病の可能性が高い」と告げられたときに最初に頭に浮かんだのは、 

 

難病=高齢者の病、不治の病、寝たきり生活 
 

などのワードでした。その時点で40代後半だったとはいえ、 まさか、私が難病??(うそでしょ〜)という感じで、まったく実感がわきませんでした。 
そもそも、難病について何の知識もないので、深刻さ具合も分かりませんでした。 

さらにショックだったのは、医師から「入院が必要です」と言われたことです。
人生で一度も入院した経験がなかったので、え〜うそでしょ!嫌だ!  と叫びそうでした。
そして、想定していたよりもかなり面倒な事態なのだと悟り、あらためて落ち込みました。

ちなみに難病の定義は、 

  • 原因が不明
  • 治療方針が確定していない
  • 後遺症を残すおそれが少なくない
  • 長期にわたる療養が必要 など

さらに難病のうち、 

  • 患者数が一定の人数以下(人口の0.1%程度以下)
  • 客観的な判断基準が確立している

といった要件を満たすものは、指定難病として医療費助成の対象になっています。 
私がかかっている「皮膚筋炎」も指定難病の一種です。 

ひとくちに指定難病といっても種類は多く、 
なんと338疾病もあります(2021年11月時点/厚生労働省ウェブサイトより)※1 
同じ難病でも人によって症状や進行具合はかなり違うため、 

 ・私は一体どのレベルなのか? 

・この痛みがなくなるまで、どのくらいかかるの? 

・将来的にはどうなるの? 

 など、疑問が噴出。 
分からないことが多すぎて、調べれば調べるほど不安になりました。 

 

さらに恐怖を覚えたのがステロイド薬の服用です。
ステロイドについて具体的には知りませんでしたが、
なんとなく怖い薬だというイメージはありました。

検索してみると、
ステロイドは怖くない!」 
ステロイドに不安を持つ方へ」のようなサイトも多く、
いかに恐れられている薬なのかが分かり、かえって落ち込みました。
 

私のような自己免疫疾病の患者は、基本的にステロイドを生涯服用することになります。 ステロイドに限ったことではありませんが、薬は治療効果などのメリットが副作用のデメリットを上回るから飲むわけですよね。 

実際、私はステロイドを飲んだ翌日から、それまでの痛みがウソのように軽減しました。 めちゃくちゃ効いた!という実感がありますし、服用を急に止めると炎症(痛み)が再発する恐れもあります。 

ありがたいお薬・・・ではありますが、長期間飲み続けることへの不安はぬぐえません。 実際、退院後には「これぞ副作用」といえるようなもろもろの痛み・辛さを味わいました。

よく「患者数が少ないと医薬品の開発コストが回収できないから製薬会社は開発に消極的」などと言われます(本当の話でしょうか?)。 
しかし、難病患者は増加の一途で、2020年度には100万人を突破しています(※2) 

人生100年時代、これからも患者数は増加していくことでしょう。 

ステロイドより少しでも副作用のない新薬の開発はもちろん、既存薬の転用が実現することを祈るばかりです。 

<あの頃の私へ>  
難病、ステロイド・・・たしかに怖いけど、あまり心配しすぎないで。 
ネットの情報を追いかけすぎると、それが新たなストレスになるから! 

  

*今日もぐるぐる* 

 

※1 
難病の種類(一部抜粋) 

  •  消化器系疾病(潰瘍性大腸炎クローン病など) 
  •  自己免疫疾病(全身性エリテマトーデスなど)→私はこのタイプ 
  •  神経・筋疾病(パーキンソン病など) 
  •  血液系(原発性免疫不全症候群など 
  •  内分泌系(下垂体前葉機能低下症など) 
  •  視覚系(網膜色素変性症など) 
  •  循環器系、呼吸器系、皮膚・結合組織系(神経線維腫症など) 
  •  骨・関節系(後縦靭帯骨化など) 

※2 
難病情報センターHP 
https://www.nanbyou.or.jp/entry/5354 

 

はじめに

2019年4月に指定難病「皮膚筋炎/多発性筋炎」の診断を受けました。
体調に異変を感じてから、病名が分かるまで約6ヶ月。 
この期間は、ほんとーーーにキツかったです。 


症状の大まかな流れは、 

顔の発疹 → 手指の腫れと痛み → 首・肩の激痛 
→ 太ももの激痛 → 歩行困難 


少しずつ変化する様々な症状に翻弄されながら 
皮膚科、整形外科、整骨院と様々な病院をぐるぐると巡りました。 


というのも当時は、 
それぞれの症状は別の要因(病気)だと思っていたので、 
「あちこち痛いよ~更年期なのか!?」と嘆きながら、 
対処療法的に、並行して複数の病院にかかっていたのです。 

もちろん症状をネットで調べ、原因を見つけようとはしていました。 
たとえば「顔の発疹」の場合 

  • 稗粒腫(白いブツブツができる症状なので私は違いそう) 
  • 接触皮膚炎(赤いかぶれ。最初はこれかと思っていました) 
  • 乾癬(髪の生え際やひじ、ひざに多いらしく、顔に症状が出る私は違いそう) 
  • 薬物性肝障害(薬やサプリの服用による。何も飲んでいなかったので違いそう) 

他にもいろいろな病名が出てきましたがどれもピンとこず、 
そのうち自然治癒するかもと期待して放置していました。 
なんせ、まさか自分が「難病」だとは1ミリも想像していなかったので。 

 

 

その頃のお薬手帳を見ると、 
鎮痛薬や塗り薬、ロキソニンの湿布薬、漢方薬、ビタミン類・・・ 
病院で処方されるままに、いろいろな薬をせっせと取り入れていました。 

でも、どの医者にかかっても、 
どんな薬を飲んでも体調は一向に良くならない(当然ですが)。 

それどころか、痛みはどんどん強くなって範囲も広がり、 
仕事や日常生活にも支障がでてくるようになりました。 

どうして?なんで治らないの?

毎週末のようにあちこちの病院にかかることがストレスで、 
不安や焦り、苛立ちも募りまくっていました。 

その後、病名が分かってから疑問に感じたのは、 
なぜ、これほど時間がかかってしまったのか?という点でした。

一番長く通った皮膚科の先生からは診察後に 
「うーん、良くならないですねえ、また来週、様子を見せてください」 
と言われ続けました。 

でもさぁ先生、たとえご自身の専門外の疾病だとしても 
当然いろいろな医学的知識もあるでしょうし、 
「もしかして、これは難病系かもしれない」とは 
チラリとも考えないものですか? 全く前例なし? 

こんな風に訝ってしまうほど、
病名が判明するまでの日々は長く辛いものでした。 

ただ、今は少し違う考えをもっています。 
あの頃の私は、病院にさえ行けば何とかしてくれるだろうと、 
完全に判断を委ねていました。

「内服薬でも塗布薬でもいいから、早く治してくれ」って感じで
体の異変と真剣に向き合っていなかったのです。
軽度であってほしいという無意識の願いもあったのかもしれません。

それに、皮膚科では顔や手指だけ、 
整形外科や整骨院では体の痛みだけを訴えていました。 
かかりつけ医がいれば、まとめて相談できたのかもしれません。 

体調不良であることを知られたくなくて、 会社でもひた隠しにしていました。

周りの頼れる知人に相談するなどして、 
より広く情報を集めることも有効だったでしょう。 

結果的に、ずいぶんと不要な薬を飲み続けてしまったし、 
遠回りしたぶん、症状も悪化させてしまいました。 

「あの時、ああすれば良かった」を繰り返した私。
その反省と記録も兼ねて、難病ライフを記します。

<あの頃の私へ> 
自分の体は自分で守るしかない
もっと真摯に体と向き合いなさい!

 

 *今日もぐるぐる*